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■ 古俳句鑑賞(1) ……………… 纓片真王2003. 5.17

 させんせじの論や薪の能のもめ 三宅嘯山
『葎亭句集』(享和元年刊)所収
  

 作者は蕪村らと親交のあった、漢詩人でもある俳諧師。「薪(の)能」は春の季詞で、中世以来、大和国(奈良県)の興福寺で上演された神事猿楽のこと。上演が夜に及ぶと薪を照明とするところに興趣がある。近世前期からは、二月七日から七日間、中止の日があった場合は十四日まで、毎年交替で今春・金 剛・宝生の三座が参勤・上演した。その薪能での「させんせじの論」とは、「もめ」事とは何か。
 薪能は雨・雪・大風などの事情で上演中止(能役者にとっては「免除」)となる。しかし、朝に雨が上がり、地面が湿っている場合の判断が微妙になる。芝の上に置いた鼻紙四枚を踏み、三枚目まで水がとおれば中止という規定はあった。主催者である興福寺の衆徒は能を見たい、上演させたい(「させん」)と迫る。けれども能役者は、濡れた芝の上で舞いたくない(「せじ」)と言う。この両者が上演するか否かで論争し、実際揉め事が起きた記録がある。嘯山の活躍した宝暦〜寛政年間(1751〜1801)に限れば、上演中止は多いものの、揉め事らしきことがあった記録は安永九年くらいである。しかし、薪能にはそんな揉め事があるものだという情報が嘯山の耳に入ることはあったであろう。
 筆者は現在、薪能の句を調査しているが、近世前期の句に、「薪」や「夜」、「芝の上での上演」といった点に注目して趣向を立てた句が多いのに対し、近世後期の句になると、舞台の美に注目した句も出てくる傾向があるように思われる。そのなかでこの句は、興趣ある薪能にしては無粋な、しかし人間臭い側面を詠んだところに、俳諧らしい面白みや新しみがあると考えられる。また嘯山がこのような句を詠めた背景として、すでに竹内千代子氏が明らかにされた(『俳文学研究』第30号、平成10年10月、京都俳文学研究会)ように、嘯山の一族に、和泉流狂言師の三宅藤九郎・惣三郎がいたことが注目されよう。