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■ 「出門」の出典 ……………… 深沢了子2003.12.20

  門を出れば我も行人秋のくれ
  門を出て故人に逢ぬ秋暮


 安永三年秋成立の蕪村の二句である。これが芭蕉の


  人声や此道かへる秋のくれ
  此の道や行人なしに秋の暮


に倣った事は諸注に指摘がある。ここでは芭蕉句にない「故人」「門」の語について考えたい。
 「故人」については、昔なじみという意味に加え、芭蕉の面影が含まれるといわれている(藤田真一氏 『蕪村 俳諧遊心』若草書房、1999年、他)。芭蕉句を元にしていること、また蕪村の「故人」の語の使用例からみて、賛成したい。
 また「門」の語は両句共に使われており、芭蕉のただ一筋に続く「此道」に対して、蕪村は内(家)から「此道」に通じる境界である「門」を設定したのだろう。了角・乙総宛書簡の振り仮名から音読みが確定し、従来漢詩の響きが読みとられている。たとえば尾形仂氏は『三体詩』中の戴叔倫「湘南即事」の一句、「出門何処望京師」(門ヲ出デテ何レノ処ニカ京師ヲ望マン)等の口調を襲ったものと推測されている(『座の文学』角川書店、1973年)。しかし用語の上でもっと蕪村句に近いものとしては、『唐詩選』中の高適の詩「田家春望」が挙げられるだろう。即ち、


  出門何所見  門を出て何の見る所ぞ
  春色満平蕪  春色 平蕪に満つ
  可歎無知己  歎ずべし 知己なきことを
  高陽一酒徒  高陽の一酒徒
(読みは南郭の『唐詩選国字解』によった)


 知己=故人という一般的な意味に従えば、蕪村句は、「門を出て」知己なきことを嘆く高適の詩を、「門を出て」知己に出会うと反転させたものであった。或いは王維の有名な詩句「西出陽関無故人」(西ノカタ陽関ヲ出ズレバ故人無カラン)(『三体詩』等所収「送元二使安西」)にも通じるかも知れない。内と外を隔てる境界「門」(或いは「門」の拡大版としての「関」)を出れば、「故人」はいない、と嘆く漢詩に対し、蕪村は或いは「行人」となり、或いは「故人」に出会って、芭蕉との精神的な邂逅を果たすのである。
 芭蕉の句にならって「秋暮」の句を作る。これだけでは蕪村の趣向としてはつまらない。芭蕉が歩む「此道」に通じる「門」を設定し、さらにもう一趣向、すなわち著名な漢詩の世界を反転させて、自分なりに芭蕉の後を慕う気持ちをこめたのがこの両句ではないだろうか。
 なお芭蕉にもこの王維の詩句を踏まえた句文がある。


  みちのくの名所く心におもひこめて、先関屋の跡なつかしきまゝに、ふるみちにかゝりて、
  いまのしら河も越えぬ。
  頓ていはせの郡にいたりて、乍単斎等躬子の芳扉を扣。彼陽関を出て故人に逢なるべし。
    風流のはじめや奥の田植歌  芭蕉
(『荵摺』)


 芭蕉も「故人無カラン」をひっくり返し、奥の風流人等躬との出会いを喜ぶ挨拶とした。蕪村が芭蕉のこの句文を知っていたかどうかは不明だが、「関」を出て「故人」に出会うという趣向は、特別のものではなかったといえるだろう。芭蕉・蕪村の使った「故人」には、ともに風雅を解する親しい人物という思いがこめられている。(大阪俳文学研究会「会報」35号「出門と狐」を参照されたい)