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■ 曹洞宗大本山総持寺 ………… 阿部真弥2003.11.20

 私は生まれてからずっと、神奈川県の川崎市に住んで居ます。しかし川崎市といっても、横浜市鶴見区と隣接していますし、通った大学も鶴見ということで、私の認識するふる里に、鶴見はすっかり入り込んでいます。
 さて、横浜市鶴見区には石原裕次郎のお墓がある事でも有名な曹洞宗大本山総持寺があります。大きな樹々に囲まれた参道を歩くのは、どの季節でも気持ちの良いものです。この参道の先にある山門をくぐって左側にある階段を登ると鐘楼に出ます。そしてその右側には芭蕉の座像が刻まれた、大きな碑が建っています。
 この碑の表には、芭蕉座像と、その上側に「芭蕉菴桃青像」、左側に「蕉禅風祖無外坊湖麿書 森田春鶴刻」ときざまれ、裏面には、主唱者の柳下大叶・発起者の森田育宏らの名前、大正12年11月芭蕉の230年遠忌に建立した旨と、献詠として、

  大空と合せ鏡の牡丹哉     湖磨

  総持寺の鐘や五月の晴れ上る  春鶴

の二句が刻まれています。芭蕉座像の揮毫者は 当時の南画壇の第一人者の小室翠雲です。主唱者の柳下湖麿には他に、鎌倉の建長寺仏殿近くに「蕉禅俳諧五哲記念碑」と歌碑があります。五哲記念碑によると、湖麿は建長寺管長の菅原時保に参禅、後に川上道済に師事し通俗仏教や道化俳諧を唱えた人だということです。『大正俳家伝』(1924年 国華社)を見ると、明治8年に小田原に生まれ、春秋菴幹雄門。蕉禅新聞を発行し、著書には『蕉禅道句大鑑』等があるそうです。
 さて、この碑の前で詠まれた句があります。

  諸嶽山芭蕉の句碑に紅葉散る  素月

 作者の松本素月・本名一太郎は、著書『私の俳句』(1980年10月)によると明治33年静岡生。17才の時に鶴寿園鈴木暉完に俳句の手解きをうけ、のち小倉紫好主宰の渦潮会の会員となり、紫好とその師である虚子門の岡村浩村の指導を受け、また昭和40年、素月65才の時には、今も鶴見駅ビルにある茶舖「松本園」を開店したとありました。そこでさっそく松本園を訪ねてみると、素月には子どもが無かった為に姪御さん夫婦が継いでいらっしゃいました。素月は10年ほど前に93歳で亡くなりましたが、90歳までは店に顔を出していたそうです。素月は虚子の高弟深川正一郎氏とも交友がありこの茶舖に訪れた事もあったとか。
 素月の詠んだ、紅葉が碑に散りかかる季節は、もうすぐそこです。


※参考文献(上掲以外)
 素月著『俳人物語』(1988年)。
 『俳家大正伝』は、『日本人物情報大系』50巻「学芸編10」(2000年7月 晧星社)所収。