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第3回 澤村国太郎襲名披露「とゝのひし春から萩の芽組かな」 | 2004. 7.21 |
縦42.4×横56.2cm 平成三年刊『俳諧一枚摺』(柿衛文庫)に、加藤定彦氏蔵の片岡仁左衛門襲名披露等役者の俳諧一枚摺が数点収録されている。役者関係俳諧一枚摺は、現在どのくらい伝来するのだろうか。掲出したのは、市川壽美之丞が澤村国太郎を襲名した披露の俳諧一枚摺。 『近世日本演劇史』には、二世澤村国太郎の始めの名は泉川亀吉、年ごろ萩野銚子と改名……云々というが、市川壽美之丞についてはふれていない。天保七年(1836)春没。享年未詳。国太郎「萩の芽組」句は、萩野屋と澤村家の芽組(縁組み)と澤村家からのめぐみ(惠)と役者の出発を意味する芽ぐみ(萌芽)の三重の意を掛けて春を寿いだのだろう。 襲名祝いの句の巻頭は、中村雀右衛門。初世中村儀左衛門(四世中村歌右衛門の弟子)が、嘉永四年(1851)十一月中の芝居で雀右衛門を名乗った(『歌舞伎事典』)から、掲出の一枚摺はこの年以後に出来たものか。とすれば、三世国太郎の襲名披露の一枚摺の可能性があるが、よくわからない。巻頭の雀右衛門に継いで祝儀句を寄せた雛助は、三世嵐雛助か。以下役者名についても、確定できない。江湖の諸賢のお教えを願いたい。 絵は、翁白黒二面「玉園 印(初号金園)」。 なお、歌舞伎役者に限らず俳諧一枚摺の多彩な世界を知るには、平成十三年刊、雲英末雄氏監修『江戸文学25 多色摺の歴史と俳諧一枚摺』(ぺりかん社)が必携の書である。 |