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第4回 「筆に足る旅友達や梅の花」 2004. 9.22


縦25.6×横35.5cm






 写真に写すと摺物に見えるが、レッキとした肉筆。俳諧一枚摺に似せて、こんな戯れをしたのだ、と思う。摺物にして配るほど多くの俳友がいなかったからでも、摺物にするだけのお金もなかったからでもなく、遊び心が嵩じての「似せ一枚摺」であるだろう。その主山暁は、「川村氏、通称日野屋三右衛門、正風堂、閑月庵と号す、寥松門、江戸人」(『新選俳諧年表』)と思われる。山暁については、これ以外に知らないが、この句の前書から、遊び心をもった人だったろうと推測するのだ。
 前書「石に枕し流れに嗽ぐ」は、文豪夏目漱石の号の由来として誰もが知るところ。念のために『広辞苑』を引くと、「石に枕し流れに漱ぐ」と言うべきところを、「石に漱ぎ流れに枕す」と言い誤った晋の孫楚の故事をあげて、「こじつけて言いのがれること。まけおしみの強いこと。漱石枕流」と出ている。余談だが、江戸俳人で漱石という号をもつ人もいた(夏目漱石先生、苦虫を噛み潰した顔でクシャミをすることだろう)。
 辞書的に解すれば、「こじつけての言い逃れ」「負け惜しみ」の表現となるが、閑月亭山暁は、「閑を好む」隠逸の人物を想像するらしい。そして、そんな人物よりも「酒池肉林こそが幸い、月花の風流と等しい」と言うから、変わっている。芭蕉以後の俳人たちは芭蕉流の隠逸こそが俳人の理想的な生き方としていたからである。山暁自身、自らを閑月亭と号しているのは、閑雅や隠逸への憧れがあったことの証しだろうが、そんな人が酒池肉林を閑雅よりも良いというのは、どうも腑に落ちない。
 前書を前提にして「筆に足る旅友達や梅の花」句を解釈すれば、「酒池肉林の風流を知る」旅友達こそ「筆に足る」というのだ。「筆に足る」は、一般的ではなくて『日本国語大辞典』にも掲載されていない。「語るに足る」の応用で「書く価値がある」を意味するならば、旅友達は、十返舎一九『膝栗毛』のヤジさんキタさんを連想してしまう。ヤジ・キタの旅は酒池肉林というにはつましいが、色と酒をめぐる幕末期庶民のエネルギーに溢れている。
 しかし待てよ、この一紙は最初に述べたように、遊び心から生まれた「似せ一枚摺」のはず……。だとすれば、「酒池肉林」を「閑雅」よりも上位におくのは、人を喰った遊びかもしれない。絵師金堂についても、残念ながら知らないが、獅子舞の獅子の顔に愛嬌があって洒脱な絵だと思う。けれど、この絵がこの句にどう付くか、わからない。
 判じ物みたいな「似せ俳諧一枚」だと思う。たぶん、今述べてきたのは、見当違いの大はずれ。江湖の諸賢の教えを願う。