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第6回 抱一「ゆきみぞれ」2005. 1.20


縦24.3×横18.5cm




ゆきみぞれつもりつもりてうめの花       抱一画併書
                               印(文詮)



 「ゆきみぞれ」句は、その書体からみて晩年の作だとは思うが、抱一の句集『軽挙観句藻』(静嘉堂文庫)をざっとみても、残念ながらみつからなかった。この句が詠まれた年次がわかったら教えていただきたい。
 抱一は尾形光琳―琳派の絵を愛した。播州姫路藩十五万石の藩主酒井雅楽頭忠恭(ただずみ)の世子忠仰(ただもち)の次男。宝暦十一年(1761)七月一日、神田小川町の別邸に生まれ、文政十一年(1828)十一月二十九日、雨華庵で没。築地本願寺に葬られた。
 梅を詠んだ抱一の句を捜しているとき、「江の北に植てもしたし梅の花」という句を見つけた。抱一はきっと梅が好きなのだ……と思ってよくよく前書を読むと「遊女を(小田原迄)迎たる人のもとにて」とあって、遊女を梅の花に譬えているのだと知った。掲出句はそうではなく、梅の花が咲く春にみぞれまじりの雪が降っている様子を詠んだ句だろう。
 2004年の大晦日は大雪。しんしんと降り積もる雪に、蕪村の「宿かさぬ燈影(ほかげ)や雪の家つゞき」を思い出した。「宿かさぬ」は、だれの歌だっただろう……思い出せそうで思い出せないもどかしさ。年が明けても、雪は降り続いている。雪国に生まれ、雪国で生きることに慣れているはずなのに、雪の季節のさびしさには慣れない。きっと生きている限り続くだろう。みぞれまじりの雪が降ってもいい。遊女を迎えなくてもいいから、一日も早く梅の花が咲く春が来ることを待ちわびている。