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第8回 寥松「梅のぬし」2005. 5.25


縦19.6×横27.5cm






 5月18日、19日の二日間、学生の引率で斑尾へ行った。ちまたでは郭公が鳴き初め、夏の訪れを感じる季節となったが、斑尾では山桜が咲き、まだ鶯が鳴いていた。
 近世歌謡の研究者で文部省唱歌「ふるさと」の作詞者として有名な高野辰之博士の文庫名「斑山文庫」は、斑尾に由来する。当地の方から高野辰之の古郷豊田村は、斑尾の裾野にあるという話をきいて、♪うさぎ追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川……、と♪菜の花畑に入り日薄れ、見渡す山の端かすみ深し……と歌った。
 後者は、最近、中島美嘉が歌っている。透明で、しかも艶がある歌声と歌唱力によって、「おぼろ月夜」に新しい生命が吹き込まれたと思う。是非、聴いて欲しい。

 掲出した俳諧一枚摺は、春興の摺物。その年記「丑のはる」を、特定できないが、巻軸の八朶園寥松の俳諧活動からみて、文化二年乙丑(1805)か、文化十四丁丑(1817)か、文政十二辛丑(1829)のいずれかだろう。八朶園寥松は、江戸の人。蓼太門の俳人。巒氏。天保三年(1831)閏十一月十七日没、七三歳。『俳諧大辞典』によれば、検校の株をもち、後には本所の総録屋敷に住み、裕福な生活をした(『八朶園句纂』)。編著に『亀戸奉納発句抜粋』『絵空言』、桐井共著『露陀羅尼』『安岐の山道』『古いばら』『八朶園句纂』、追悼集に『峰の雪』がある。
 絵師の交山は、松本氏。江戸の人、谷文晁門の画家で俳人。名は機、通称文右衛門、字は真幸また大学。天明四年(1784)〜慶応二年(1866)。八十三歳。
  交山が描く市目笠とかづきの女性ふたりが、松明をもった衛士と会話している様子は、王朝物語のワンシーンを見るようである。市目笠とかづきは、上流の女性が外出時の被り物。衛士は都の警備兵だから、ふたりの貴婦人が都に入るのを見咎めているのだろう。巻軸の八朶(寥松)の句「かくすもの戸棚にもなし梅のぬし」に呼応した絵柄だとすれば、梅の主すなわち菅原道真の妻と娘が、大宰府から都に立ち返り、衛士に検問されている姿を描いたのではないだろうか……。
  季節は、春から夏へ変わろうとしている。季節の移ろいは、人の心を物狂おしくする。