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第9回 八代目市川団十郎「むぢやうの風」2005. 7.10


縦36.2×横25.5cm






 やがて梅雨が明けて夏がくる。夏は、四谷怪談。髪がぬけおちて半分崩れた顔のお岩さんがふり返ったときの恐ろしさに、体中から血の気が引いて行く……。

  今回は、市川団十郎の追善摺物を紹介したい。第1回目の「古句逍遥」に掲げた団十郎と同じ八代目団十郎だが、こちらは浮世絵である。
  八代目団十郎追善の摺物(死絵というらしい)は、『粋人たちの贈り物江戸の摺物』(千葉県立美術館 平成9年)の解説によれば、「200種以上刊行」されているという。若くして亡くなった団十郎が絶大な人気を誇ったとは言え、「200種以上」は、誤植ではないか?
  浮世絵を多く扱う早稲田の古書店の方に「八代目団十郎の追善摺物は200種も出ていたのですか?」とお聞きしたら、「そうですね。そのくらいは出たかもしれません……」と事も無げにお返事いただいた。とすれば、ここに紹介する摺物は、その一枚に過ぎない。
  なお、『江戸の摺物』は、一勇斎(歌川)国芳の三枚続きの死絵を掲載している。
  ここに掲げた和歌入の浮世絵は、三枚続きの一枚かもしれず、絵師も分からない。団十郎のひいき(贔屓)のつる(蔓)を、「むぢやう(無常)の風」とデザイン化した文字で記しているのが眼目だろう。おてんば・茶や女・やりて・あめうり・のりうり・女中・き娘・ぜうさま・子もり・女房・かみさん・げいしや・しんぞ・おんば・女郎・ふんばり・むすめ・みこ・かゝあ・かこい物・おめか・ごけ……、この世のすべての女たちが、贔屓の蔓にぶら下がって、「なんでもつかまいた、どふかおはなしでないよ」「はやくむじう(無常)の風がやめい」「早くつかまいておくれおくれ」などと叫んでいる。
  八代目団十郎の人気の凄まじさは、昨今の「ヨン様」ブームを凌いでいたのではないか、これほど絶大な人気があった団十郎は、おちおち冥界に行くことができなかったのではないか、と余計な心配までしたくなる。
  ところが、この死絵をしばらく見ていると、不謹慎だが、追善の思いが次第に薄れて、団十郎に追いすがる女たちのたくましさに圧倒されてしまう。この絵の本当の主人公は、女たちのパワーだろう。
  お岩さんも役者狂いに走れば、毒をもられずにすんだはずだ。贔屓の蔓が切れるよりも、愛憎の蔓が絡まることの方が恐ろしく、哀しい。

〔追記〕
  第1回目に紹介した死絵には法名が「観恵恩信士」とあるが、こちらは「浄莚信士」。なぜ法名が異なるのか分からない。お教えいただければ幸いです。