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第12回 仙翅「万歳は」2006. 1.31


縦14.0×横28.5cm






 去年から今年にかけて、またも大雪に見舞われた。「花鳥風月」「雪月花」―都人が風流の代名詞としてきた雪は、鄙では「白い魔物」である。雪が積もらない地方が心底うらやましい。鄙人は、積もった雪を恨めしげに見上げて、
  雪ちるやおどけもいへぬしなの空  一茶(おらが春)
と、ひっそりと息をひそめて春を待っている。


 さて、掲出句の作者仙翅は、素性が分からない。
  万歳は浮世の春を旅寐かな     仙翅
 春の訪れを告げる太夫と才蔵がやってきて、人々を笑いに誘うが、旅の身の上をいいことに春眠暁を覚えず……と寝入っている様子を詠んだ句であろう。太夫と才蔵は、「万歳はゑぼし直垂草鞋哉  梅戸」(国の花 巻六)から、えぼし姿で直垂(ひたたれ)をつけ、草鞋(わらぢ)を履いていたはず……。芭蕉句の、
  山里は万歳遅し梅の花       芭蕉(笈日記)
が「梅の花が咲いて、ようやく山里にも万歳がやってきた」という意味だとすれば、ここに掲出した句も、正月もとうに過ぎた初春に万歳の旅人が訪れたというのだから、相似た情景を詠んでいることになる。
 その年は末尾に「戊子春」とあるから、明和五年(1768)か文政十一年(1828)のいずれかの初春。摺物の紙質からみて、おそらく文政十一年戊子春だろう。


 掲出句のうち「むすぼるゝ」の下五の読み方に自信がないので省略して、松露庵の句、
  春なれや兎のしりの臼の音     松露庵
 松露庵は鳥酔(明和六年没69歳)の庵号、二世左明(宝暦十年没50歳)、三世烏明(享和元年没76歳)、四世雨什(文化十年没74歳)、五世兀雨(生没年未詳)、六世坐来(生没年未詳)と継承されたと思うが、五世が坐来、六世が兀雨とする説もある。
 ちなみに、文政十年の『松露庵随筆』は、兀雨の編集で巻頭句も兀雨、翌年の十一年は坐来の編集で巻頭句も坐来、この年から坐来が松露庵を継いだのだと私は思う。なお兀雨は文政十一年の『松露庵随筆』では、三世松原庵を名乗っている。そこで、この松露庵は、坐来だろう。


 さて、「春なれや兎のしりの臼の音」の句意が、分からない。かりに「春が来た。兎の尻には九つの穴があるというが、春になれば活発に活動するから、臼をひくときの音のように響く」としておきたい。なお暁台に、
  明る野や兎の尻に春の風     (『暁台句集』)
とある。一日も早く春の野原で春風に吹かれる日が来ることを待ちわびている今日この頃です。