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第18回 八巣蕉雨判「後の月」2007. 9.20


縦40.0×横18.5cm



 今年(2007年)は、酷暑の夏だった。何にもする気がおこらないので、「地球温暖化を考えれば、クーラーを使うなどもってのほか」と環境問題を理由にして怠けた。その上、省エネルギーを心がけて動かないようにした。MRI検査をしてみると、左肩に水がたまっているという。MRI検査は、痛みよりも恐ろしさにおびえた。懶惰の罰である。

  古句逍遥も2ヶ月に一度アップしてもらっているが、これも怠けてしまった。怠け者の節句ナントヤラ、今回(18回目)と19回目を同時に掲載していただくことにした。実はこの2枚は、同時期に出たのではないか、と想像しているので、2回分同時アップの方が、比較対照できて好都合なのである。これもケガ(怠け心)の功名……と思っていただければ幸い。
 18回と19回の一枚摺は同じ大きさ。判者は蕉雨と寥松で異なるが、いずれも「後の月」を題にした題詠、高点を得た秀逸句を記載したもの。収月判や苔蘇判の前句付け一枚摺は、質素な楮紙に50行ほどびっしり摺られているが、この蕉雨判、寥松判の一枚摺は奉書紙で、手触りが良く、専門画師の絵が入っている瀟洒な摺りである。

 後の月は、旧暦八月十五夜の中秋の名月に対して、旧暦九月十三夜の月のこと。豆名月、栗名月とも。判者の蕉雨は、文政12年(1829)5月7日没、享年55、桜井氏、称三郎左衛門、小麓庵、八巣、槿堂、尼椿老人と号す、士朗門、信州飯田人、江戸住、幕府に仕ふ(『新選俳諧年表』)。秀逸句の最初に見える文林など、ほとんどの作者が分からない。分かるのは、次の数人。公石―何丸の息で『続猿蓑注解』の著者(実際は何丸著と言われている)。子将―信州の人、何丸門。鴬渓―抱儀の妹。帰一―鹿島氏、称利八、白鹿洞と号す、江戸人(新選俳諧年表)。

 画師の交山は、慶応2年(1866)没。享年83、松本氏、別号景文、谷文晁門、俳諧は抱一に学んだという。荷物を担いで川を渡る人物画は、なかなか面白いが、なにを担いでいるのか分からない。句との連関も分からない。
  すっかり怠け癖がついてしまったようだ。分からないものは分からない……と諦めている。どなたか、お分かりでしたら、お知らせ下さい。