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第23回 燈ともる枯野2008.10.24


縦20.7×横28.4cm







 3ヶ月に一回は、更新できるようにと書こうと思いながら、随分サボってしまった。気がつけばもう秋。大学の近くにある老人ホームの垣根の満天星(どうだんつつじ)が紅葉している。この満天星の燃えるような紅色から始まり、桜紅葉が青空に映え、やがて冬を告げる初時雨の季節を迎えることになる。


 掲出した俳諧一枚摺の巻軸の三都良は、越後の俳人だと思うが、今、調べがつかない。その句「こころあての家に燈(ひ)ともる枯野かな」は、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の芭蕉句が念頭にあって、恋しい人が住む枯野のなかの一軒家を「こころあての家」と言い、そこに点った燈火に人肌のぬくもりを暗喩したのだろう。恋の句と読みたいが、いかがだろうか。


 三都良以外の俳人を『新選俳諧年表』で調べたが、よくわからない。ただ芳洲は、「明治25年8月15日に亡くなった陸中盛岡人。津田氏、遅日庵と号す」という人か。北国では、まだ紅葉が終わらないうちに、初時雨と初雪が同時に降ることもあるから、この一枚摺が、秋冬の句をとりまぜているのも納得できる。画師の高夢(?)は未詳。冬の準備の焚き木を両肩に背負って帰る老翁の顔も姿も、蕪村風の絵で好ましい。


 最近、いくつかの句集をいただいた。それぞれから好きな句を選んで楽しんでいる。ここでは、それぞれから一句だけ掲げたい。
 みうらじゅんこさん『セヴンスヘヴンアット』(創風社出版)は、楽しく不思議な句集「もちろんむろん嘘もつきますちんちろりん」。秋尾敏さん『ア・ラ・カルト』(本阿弥書店)は、深い覚悟が伝わってくる句集「蟷螂は星を見つめたままである」。高柳克弘さんの『芭蕉の一句』(ふらんす堂)は、365日の芭蕉句鑑賞、ご自身の句集ではないが、日々の糧。今日、10月16日は「石山の石より白し秋の風」。
 83歳の斎藤耕子さんの『蟲の音』は、骨太の句集「一念の愚直つらぬき日記果つ」。

 10月6日早朝、恩師雲英末雄先生、ご逝去。68歳。