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第24回 一晶「見せばやな」2009. 3.24


縦21.2×横19.6cm



見せばやな鳳(ほう)来る御代を桐の花 一晶 印(崑山)




 今年の冬は雪が少なく、毎年腰が痛くなるほどにする雪かきを一度しただけだった。今日も風は冷たいが温かな陽気で、花見に出かけたくなる。もっとも、今頃の信州の花見は、桜ではなく梅である。梅香に誘われて、春の野山を散策したいと思うが、心のゆとりを失っているせいか、部屋の中でちぢこまっている。
 さて、これまで、俳諧一枚摺を気ままに紹介してきたが、今回は趣向を換えて、昨年12月に入手した、一晶の自画賛「見せばやな鳳(ほう)来る御代を桐の花」を紹介したい。
 
 鳳凰を詠んだ句というと、貞徳の「鳳凰も出(いで)よのどけきとりの年」(犬子集)がすぐに思い出される。おおぶりな見事な書体で、この句を染筆した貞徳の短冊を雲英先生がご所蔵されていた。一晶は貞徳の句を意識して、桐の花に住むという鳳凰を詠んだのだろうが、出典は未詳。昨年10月にご逝去された雲英末雄先生に、この一晶の自画賛をご覧いただけなかったのが、何より残念である。

 自画賛は、絹本の小色紙、まことに奥ゆかしい。一晶が絵をよくしたことは、風景に賛した作品が伝来していること、浮世絵師・菱川師宣のような画風で井原西鶴の画像を描いたことで知られている。この小品の鳳凰は、一晶が描いた脂ぎった西鶴画像と比べて、別人の作かと思われるほど優美で可愛いらしい。
 天空と樹上で呼び交わす鳳凰、ちらし書きした「見せばやな」の発句、令徳旧蔵の印だという「崑山」の朱印、その横に一晶の署名。おおどかで楽しげな図柄が、小さな世界に収まっており、俳画の楽しさを伝えてくれる作品である。
 
 なお、白石悌三「一晶」(『俳文学大辞典』普及版)を抜粋して参考に付しておきたい。
 ?〜宝永四(1707)60余歳。芳賀治貞。通称、順益(玄益)別号、冥霊堂 崑山翁 似船門。常矩を介して秋風・信徳に兄事。天和元年(1681)『俳諧蔓付贅(つるいぼ)』を刊行。1万3500句の矢数俳諧で名をあげ、天和二年刊『俳諧関相撲』では三都18点者の一人に遇された。同三年、歳旦帖を出し、その春江戸に下って芭蕉らと一座、誘われてその夏を芭蕉と甲斐国に過したが、以後江戸に定住して、天和蕉風の有力メンバーとなった。貞享三年(1686)春、老母見舞いに帰京、江戸に戻ると一派を立て、以後、元禄俳壇でも一家として遇されたが、他派と没交渉の孤立した存在となり、上方に独自の趣向を凝らした前句付を興行し、次第に雑俳化した。