例会プログラム |
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第37回テーマ研究 「虚子と俳句の近代」(江東区公開講座を兼ねます) 司会:纓片 真王氏 明治の虚子における「元禄」―「主観」の評価を中心に― /田部 知季氏 虚子の存在意義ー俳文芸の流れの中で /井上 泰至氏 |
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●研究発表 支考編『本朝文鑑』と『源氏物語』 /砂田 歩氏 【要旨】 芭蕉の門人、支考が編纂した俳文集『本朝文鑑』(享保三年〈1718〉跋)の「提綱」には、『源氏物語』などの物語の文章と俳文との相違点についての説明がある。一方、『本朝文鑑』には、『源氏物語』第七帖「紅葉賀」の一部が収録されてもいる。本発表では、この『本朝文鑑』と『源氏物語』との関係を手掛かりとして、芭蕉や支考にとっての俳文というジャンルとは何なのか、検討してみたい。 ●研究発表 貞佐点「指南車の」百韻の検討(2) /稲葉 有祐氏 【要旨】 7月に扱った『[貞佐点俳諧帖]』(享保13年興行・洒竹文庫蔵)「指南車の」百韻について、前回検討の及ばなかった40句目から50句目までを中心として、問題点の抽出を行いたい。 |
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●研究発表 連歌と「百人一首」 /松本 麻子氏 【要旨】 宗祇は『百人一首』の最初の注釈書『百人一首抄(宗祇抄)』を文明十年(一四七八)に著した。これは、東常縁の講釈を聞きまとめたもので、現在の研究では『百人一首』が広く読まれるきっかけを連歌師宗祇が作ったと考えられている。本発表では、連歌の実作の場で『百人一首』所収歌がどのように取り入れられているのか、また、連歌論などにはどういった記載がなされているかを確認しつつ、連歌と『百人一首』との関わりを検討したい。 ●研究発表 「俳諧名賞頭絵」の検討―幕末期江戸俳壇を俯瞰≠キる― /伊藤 善隆氏 【要旨】 「俳諧名賞頭絵」とは、「大絵都」と称する架空の土地の俯瞰図(縦38.0p×横51.5p)である。そこには様々な名所(名賞)が描かれているが、じつは天保期から幕末期の江戸で活躍した俳諧宗匠、すなわち名匠(名賞)がそれぞれの名所に当て込まれている。注目すべきは、一九〇にも及ぶ、その「名賞」の数の多さである。当然ながら現代の人名辞典の類には立項されず、当時の人名録を見ても記載されない作者も多い。作者の「南海濤酔」については未詳。版元名や刊年の記載もなく、刊行の経緯なども不明であるが、当時の俳諧の盛行ぶりを想起させる興味深い資料である。 |
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●研究発表 常陸俳人・中嶋五峰の新出資料について /福田 安典氏 【要旨】 常陸額田の俳人中嶋五峰については、松山藩江戸屋敷での芭蕉関係懐紙、蝶夢の時雨会、諸九尼との交流、芭蕉塚建立について簡単に『連歌俳諧研究』の拙稿で触れている。このたび米谷隆史氏が『おきみやけ』(写本、寛政一〇年写)という五峰新出資料を発掘された。地方俳人の芭蕉憧憬の生々しさを伝える好資料であるので、ここに紹介することとする。 ●研究発表 貞佐点「指南車の」百韻の検討 /稲葉 有祐氏 小林 俊輝氏 【要旨】 発表者らは『演劇研究』(47)において、享保13年興行、『[貞佐点俳諧帖]』(洒竹文庫蔵)「指南車の」百韻の発句から25句目までの注釈を行った。同百韻は、前年に没した有紀堂佳風の追懐を込めて催されたもので、発句を詠んだ三升(二代目市川団十郎)をはじめ、役者・芝居関係者が多数参加している。安田吉人「享保江戸俳壇と団十郎―『父の恩』を中心に」(『成城国文学』6)の指摘するように、批点をした江戸座の貞佐は役者と親交の篤い俳人であった。今回は、同百韻のうち、26句目から50句目までの註解について検討し、問題点の抽出を行いたい。 |
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●研究発表 蕉門と嗅覚表現 ―記憶の回路を巡って― /稲葉 有祐氏 【要旨】 佐伯昭市氏「芭蕉・発句の世界 嗅覚表現」(『国文学解釈と鑑賞』第41巻3号)によると、芭蕉の嗅覚表現は元禄以降に著しく増加し、観念的な句から写実的な句へと移行する傾向があるという。芭蕉にとって、嗅覚表現は興味関心・試行錯誤の一つであったと受け取ることができる。また、佐伯氏は、素材とされることの比較的多い梅・菊・蘭の香気について、「嗅覚表現の句にあっては、蕉風の原点」となるものだとも述べている。では、蕉門の俳諧において、嗅覚はいかに知覚され、表現されたのであろうか。本発表では、梅を起点とし、記憶の回路に注目しながら、俳諧における嗅覚の世界について考察する。 ●研究発表 濁子追跡 『おくのほそ道』成立のキー・パーソンの一人 /深沢 眞二氏 【要旨】 「『おくのほそ道』の松島の条で、語り手の「予」は素堂の詩、原安適の和歌、それに杉風と濁子の発句を袋から取り出して「こよひの友とす」と言う。それはつまり、素堂・安適・杉風・濁子の四人こそが、芭蕉にとって『おくのほそ道』をまず読ませたい人々だったことを示してはいないか。」(深沢稿「『野ざらし紀行』画巻について」より、『国語国文』2023/11)。濁子は美濃大垣藩の江戸詰家老、中川甚五兵衛である。芭蕉との交流を中心に濁子の事跡を追い、濁子が『おくのほそ道』の成立に深く関わっていたことを考察する。 |
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第36回テーマ研究 「国際俳句の視座」 司会:稲葉 有祐氏 ●研究発表 漢俳について /塚越 義幸氏 ●講演 ドイツ語俳句について /竹田 賢治氏 【要旨】 俳句(HAIKU)が世界各国でつくられていることはよく知られていますが、この発表ではドイツ語圏の国々(ドイツ、オーストリア、スイス)の俳句事情についてお話しします。発表の資料は、小著『ドイツ俳句と季節の詩』(明石書店、2023年)です。本書の詳細は配付プリント(PR)にありますが、この発表ではその一部のみを紹介します。導入:ジャポニスムから俳句へ(パワポ)、1.ドイツの俳句事情(総論)、2.ヨーロッパにおける俳諧(俳句)受容史、3.ドイツ語俳句の例、4.季節の詩、5.ドイツ語圏の俳句観・俳論。以上の内容から、未だドイツ語圏では出版されていない「ドイツ俳句歳時記」を試みます。 ※ご講演後、質疑・討議・情報交換の場を設けます。 |
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第35回テーマ研究 「謡曲と俳諧」 司会:深沢 眞二氏 ●研究発表 池内たけしの俳句と能楽 ―池内信嘉と俳句の関係にも言及して― /纓片(喜多)真王氏 【要旨】 近世の俳諧と、謡文化も含めた能・狂言の関係が、俳諧研究においても、能楽研究においても解明されつつある。近代になっても俳句と能楽との関係は続いていた。中でも高濱虚子は能楽との関係が深いことが知られており、発表者もその関係についての小論を発表してきた。今回は虚子の甥、池内たけしの言動や作品を通して、近代俳句と能楽の関係の実態を具体的に紹介できればと考えている。また、たけしの父であり、虚子の中兄で、能楽の復興に大きく貢献した池内信嘉と俳句の関係についても言及したい。資料となるのは、たけしと信嘉、及びその周囲の人々の発言や作品であり、発表内容は一つの明確な主題を述べるものにはならず、むしろ発表者の抱えた問題の提起もあるかと思う。しかし、虚子の客観写生の理念に忠実であったという面とは違った、たけしの言動や、俳句の特徴を指摘できればと考える。また、能楽復興運動の中心人物とは別の信嘉の一面も紹介したい。 ●講演 二世立圃の謡注釈 /大谷 節子氏 【要旨】 立圃二世を継いだ沾圃(1663-1745)に謡の注釈があったことが、旭松斎佐久間露傘(1728-1786)が著した謡注釈『謡曲参考鈔』二十巻の序文に記されている。 「服部立圃といふ者あり。宝生古将監が三男にして、壮年には宝生左太夫とて越前の役者たりしが、故有て牢浪し、奥州岩城に下り、高槻の御館に勤仕せり。晩年に江戸に帰り、宝生家の後見と成。此叟、右の古抄を本として注解を増補したる百番の草稿あり。老筆の走り書なれば、読がたく、解しがたき事多し」。 右の序文によれば、『謡曲参考鈔』は露傘が古抄(『謡抄』を指す)と沾圃(立圃二世)の謡注釈を基に自らの注を加えて成したものである。後年、宝生大夫友精の後見も勤めた宝生沾圃の謡注釈の本体は現存が確認されておらず、神戸女子大学古典芸能研究センター所蔵の『謡曲参考鈔』二十冊に「圃注云」の形で引用される箇所が、露傘の手許にあった沾圃の謡注釈を伺う唯一の資料となる。沾圃の注は堀麦水(1718-1783)が著した『謡俚諺察形子』に先行する俳諧師による謡注釈としても貴重であり、同書が提起する諸問題について、現時点での私見を述べたい。(参考文献:伊藤正義「旭松下露傘『謡曲参考鈔』と宝生立圃」『鴨東論壇』1号、1985年) |
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第34回テーマ研究 ●シンポジウム 「江戸歌舞伎と俳諧 ―その連関・越境の可能性を探る―」 【趣旨】 『俳文学大辞典』において、服部幸雄氏は「俳諧と歌舞伎はともに江戸時代の都市を基盤にして成立した芸能としての側面をもっている」(「俳諧と歌舞伎」)と述べ、「芸能的性格」を持つ「座」の文芸としての俳諧と歌舞伎とには共通の美意識があると指摘する。特に江戸では、俳諧師と役者との直接的な交流が生み出した文化的所産に大きな意義を見出すことが出来る。例えば、元禄の江戸俳諧を牽引した其角と、荒事を創始して「江戸の名物親玉」と称された初代市川団十郎、大人気を博した助六を演じた二代目団十郎との交流が知られるが、彼らの作品・活動が、後年の「江戸っ子」意識の醸成に大きく寄与したことは注目に値する。 享保期には江戸座(江戸俳諧宗匠組合)が結成され、江戸座の宗匠と役者達の密接な親交が結ばれる。交流には、もちろん俳諧の座が活用された。宝暦期、江戸風俳諧を標榜・集大成する『東風流』には役者達による連句も掲載されている。江戸座から出た、芝居好きで知られる蕪村の存在も視野に入って来るだろう。江戸座のパトロンたる大名たちにおける観劇も考慮すべき事項である。 ただし、伊藤善隆氏「近世文学研究と歌舞伎―俳諧と歌舞伎―」(『歌舞伎研究と批評』第49号・2013年5月)が指摘するように、俳諧研究側から歌舞伎との接点を主要な課題として論じる機会は必ずしも多くはなかった。それは歌舞伎研究側にも言えることで、具体的な相互の活動実態について明らかにすべき事柄は依然として残されている。 では、江戸歌舞伎と俳諧との接続を多角的に概観してみると、いかなる事象が見えてくるのか。両者の接点からは、江戸文化のあり方を知る重要な視座を得ることができよう。本シンポジウムでは、それを俳諧師と役者との交流と俳諧連句、活動や絵画・摺物といった側面から考えてみたい。 【報告】 役者を詠む/役者が詠む ―元禄・享保期の展開― 稲葉 有祐 氏 二代目市川團十郎の俳諧趣味と仕事 トーヴェ ビュールク 氏 役割番付における俳諧 ―狂言作者の作劇法をめぐって― 古川 諒太 氏 三代目歌川豊国画『俳家書画狂題』一考察 仲 三枝子 氏 文久三年刊「俳家俳優 索交評判記」をめぐって ―旧稿「近世文学研究と歌舞伎」補説― 伊藤 善隆 氏 【司会】 深沢 了子 氏 |
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●研究発表 芭蕉「木のもとに汁も膾も桜かな」考 /玉城 司氏 【要旨】 芭蕉の「木のもとに汁も鱠も桜哉」は、元禄三年(一六九〇)六月序の珍碩編『ひさご』に収載され、前書に「花見」とある。このほか真蹟懐紙が二点ある。一つは「花見」の前書でこの句の他二句を記した懐紙で、もう一点は謡曲「西行桜」の譜点付詞章を引いて前書とした懐紙である。金田房子氏は、この二つの前書が「発句にはたらきかけるものは、実は同じであり」、「花に憧れ日を暮らす西行の俤を読み取るべき」と考証された。また、金子はな氏は「芭蕉が思い描く西行の境地」すなわち「乞食的な「軽み」の境地をも表現」した句として読むべきとされ、深沢眞二氏は「当代の芭蕉自身が劇中の西行になったつもりで発句を詠んでいる。もっと言えば西行「なりきり」で桜を愛でている」と言及されている。本発表では、「花見」の前書と「西行桜」の詞章を引く前書をもつ懐紙を、それぞれ別の「作品」として受容する「読み」を試みたい。 ●研究発表 教林盟社の成立と変遷 /秋尾 敏氏 【要旨】 近代俳句は、近世俳諧の重要な要素を掬い取ってきたのであろうか。ポストモダンの視点から、近代俳句が見落としてきたものを捜しだしていきたい。まずは、誤解に満ちた言説で語られてきた幕末・明治前期の俳句史をとらえ直しておきたい。その手始めとして、教林盟社成立の経緯とその変容をまとめておきたい。教林盟社は、梅室一門が伊勢派をまとめ、東京に中央俳壇を作ろうとした結果成立した団体で、その発想の端緒はおそらく文久年間に遡る。国学の世界観によって、新しい国の形を人々が茫洋と集団的に考えはじめた時代である。併せて、江東区芭蕉記念館の企画展示「旧派再考 〜子規に「月並」と言われた俳家たち〜」についても多少触れさせていただく。 |
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●研究発表 八代市立博物館蔵『(八代名所集)』について /真島 望氏 【要旨】 熊本県八代市立博物館蔵『八代名所集』は、寛文十二年(一六七二)の序文を有する、八代の名所を題として諸家の発句を集めた名所句集である。『俳文学大辞典』には立項がなされ、地元の有志によって翻刻と最小限の注釈が行われているものの、「国書データベース」(国文学研究資料館)には未搭載で、周知されているとは言いがたい。上巻のみの零本であるため、詳細は不明ながら、おそらく熊本あるいは八代における出版物で、近世前期の地方出版の俳書として貴重であるだけでなく、地方の名所のみを題とした俳諧撰集としてもごく初期の例と言うことができ、非常に重要な存在と位置付けられよう。そこで、本発表では、これまでなされていない書誌学的な検討を中心に、基本的な情報の確認を通して本書の紹介を行いたい。 ●研究発表 地方俳人「花好」のユーモア /佐藤 淳子氏 【要旨】 花好(〜文政九〔一八二六〕年)は、下総国関宿藩境町(現茨城県猿島郡境町)の俳人であり、北関東遊歴時代の与謝蕪村を扶けた箱島阿誰の孫文路の妻と思われる。一方、幸手一色氏を出自にもつ可能性のある人物でもある。本発表では、現在判明している花好の発句二四句のうち「其梅/梅園の 香につられてや 人来鳥」・「附尾/世をうしと 屋根に瓢の 昼寝かな」・「松ヶ岡にて/おのこ子の すぐな心や 幟竹」の三句について、はじめの二句は古典を踏まえたユーモアという観点から、三句目は神奈川県の無形文化財である「面掛行列」を詠んだ可能性という視点から考察する。 |