![]() | 例会プログラム |
| |
●研究発表 芭蕉「木のもとに汁も膾も桜かな」考 /玉城 司氏 【要旨】 芭蕉の「木のもとに汁も鱠も桜哉」は、元禄三年(一六九〇)六月序の珍碩編『ひさご』に収載され、前書に「花見」とある。このほか真蹟懐紙が二点ある。一つは「花見」の前書でこの句の他二句を記した懐紙で、もう一点は謡曲「西行桜」の譜点付詞章を引いて前書とした懐紙である。金田房子氏は、この二つの前書が「発句にはたらきかけるものは、実は同じであり」、「花に憧れ日を暮らす西行の俤を読み取るべき」と考証された。また、金子はな氏は「芭蕉が思い描く西行の境地」すなわち「乞食的な「軽み」の境地をも表現」した句として読むべきとされ、深沢眞二氏は「当代の芭蕉自身が劇中の西行になったつもりで発句を詠んでいる。もっと言えば西行「なりきり」で桜を愛でている」と言及されている。本発表では、「花見」の前書と「西行桜」の詞章を引く前書をもつ懐紙を、それぞれ別の「作品」として受容する「読み」を試みたい。 ●研究発表 教林盟社の成立と変遷 /秋尾 敏氏 【要旨】 近代俳句は、近世俳諧の重要な要素を掬い取ってきたのであろうか。ポストモダンの視点から、近代俳句が見落としてきたものを捜しだしていきたい。まずは、誤解に満ちた言説で語られてきた幕末・明治前期の俳句史をとらえ直しておきたい。その手始めとして、教林盟社成立の経緯とその変容をまとめておきたい。教林盟社は、梅室一門が伊勢派をまとめ、東京に中央俳壇を作ろうとした結果成立した団体で、その発想の端緒はおそらく文久年間に遡る。国学の世界観によって、新しい国の形を人々が茫洋と集団的に考えはじめた時代である。併せて、江東区芭蕉記念館の企画展示「旧派再考 〜子規に「月並」と言われた俳家たち〜」についても多少触れさせていただく。 |
| |
●研究発表 八代市立博物館蔵『(八代名所集)』について /真島 望氏 【要旨】 熊本県八代市立博物館蔵『八代名所集』は、寛文十二年(一六七二)の序文を有する、八代の名所を題として諸家の発句を集めた名所句集である。『俳文学大辞典』には立項がなされ、地元の有志によって翻刻と最小限の注釈が行われているものの、「国書データベース」(国文学研究資料館)には未搭載で、周知されているとは言いがたい。上巻のみの零本であるため、詳細は不明ながら、おそらく熊本あるいは八代における出版物で、近世前期の地方出版の俳書として貴重であるだけでなく、地方の名所のみを題とした俳諧撰集としてもごく初期の例と言うことができ、非常に重要な存在と位置付けられよう。そこで、本発表では、これまでなされていない書誌学的な検討を中心に、基本的な情報の確認を通して本書の紹介を行いたい。 ●研究発表 地方俳人「花好」のユーモア /佐藤 淳子氏 【要旨】 花好(〜文政九〔一八二六〕年)は、下総国関宿藩境町(現茨城県猿島郡境町)の俳人であり、北関東遊歴時代の与謝蕪村を扶けた箱島阿誰の孫文路の妻と思われる。一方、幸手一色氏を出自にもつ可能性のある人物でもある。本発表では、現在判明している花好の発句二四句のうち「其梅/梅園の 香につられてや 人来鳥」・「附尾/世をうしと 屋根に瓢の 昼寝かな」・「松ヶ岡にて/おのこ子の すぐな心や 幟竹」の三句について、はじめの二句は古典を踏まえたユーモアという観点から、三句目は神奈川県の無形文化財である「面掛行列」を詠んだ可能性という視点から考察する。 |
| |
●研究発表 紹巴時代の百韻連歌について /松本 麻子氏 【要旨】 本発表は、紹巴の時代の連歌が、後の俳諧に与えた影響について考察するものである。紹巴の出座した百韻では、特に前半、連衆が自身の詠む場所を意識して付け句がなされていた。そうすることで百韻の時間も短縮され、堪能ではない参加者であっても前半に少なくとも再篇まで二句詠むことができるようになった。加えて最初の花の句は連衆の中でも末席の者が詠む可能性が高い。紹巴の出座した会では、参加者が俳諧において定型化された花の定座の場所に花を詠むことを実践していた。その結果、月の定座が花の二句前に置かれるようになったと考えられる。 ●研究発表 無倫撰『手鑑台』と『蒲の穂』 /伊藤 善隆氏 【要旨】 無倫(明暦元年〜享保八年)は、江戸で活動し、調和・蘭台らと親交のあった俳人である(『俳文学大辞典』)。この無倫の撰になる『手鑑台』と称する資料を調査する機会を得た。同資料は、発句を記した小短冊や小色紙を帖に貼り込んで調製されており、古筆手鑑を模した発句合の勝句巻であると判断できる。無倫の月並発句合の資料としては、『蒲の穂』(元禄十三年序)と『不断桜』(元禄十六年序)が知られているが、確認したところ『手鑑台』に記載される勝句十句が『蒲の穂』に収録されていた。無倫の月並発句合については、すでに永井一彰氏による研究が備わる(『月並発句合の研究』笠間書院、2013年5月)。本発表では、永井氏の研究を拠り所として、『手鑑台』に検討を加えたい。 |
| |
●研究発表 宗因独吟「春やあらぬ」連歌百韻と「奥州紀行」との関わり /深沢 了子氏 【要旨】 寛文3年正月、宗因は前年亡くなった娘を追悼する「春やあらぬ」連歌百韻を詠んだ。この百韻は、寛文5年3月、「奥州紀行」として知られる長文の前書が付けられ、貴人(内藤風虎か)に贈られた。発表では、前書の紀行と連歌百韻について、用語や典拠などの共通点を指摘し、紀行と百韻がセットで味わう作品となっていることを述べる。限られた読者による連歌作品の「読み方」を考えてみたい。 ●研究発表 『蕪村自筆句帳』春部欠落箇所の再検討 /清登 典子氏 【要旨】 『蕪村自筆句帳』の春部欠落箇所の復元については、すでに拙稿「『蕪村自筆句帳』復元の試みー春部欠落箇所の復元」(『文藝言語研究』文藝篇77号2020年3月)において、欠落箇所を中心に取り上げ、『自筆句帳』の選句元句集と考えられる『夜半亭蕪村句集』との関係から復元の可能性を探った。しかしその後、夏部、秋部、冬部 の欠落箇所復元を進めて行く中で『夜半叟句集』が『夜半亭蕪村句集』に続く『自筆句帳』の選句元資料であることが明らかとなってきた。さらに句稿断簡ごとに選句元句集との関係を探ることで『自筆句帳』の選句のあり方も見えてきた。そこで今回の発表では『自筆句帳』全体の選句のあり方について句稿断簡ごとに検討し、新たな復元の可能性を探るとともに、春部全体の発句選定のあり方についても考察を加えることとしたい。 |
| |
●研究発表 たのしみの流儀〜初期蕉門の捉えたもの〜 /稲葉 有祐氏 【要旨】 蕉門最古参の其角・嵐雪らが芭蕉と共有していたものは、一体何だったのだろうか。周知のように、作風という面からは、師の新風に従わないことを同門俳人から批判されている。では、理念の部分ではどうか。本発表では、「田舎之句合」に記される「俳諧無尽経」を端緒に、詩人への憧憬・荘子との共鳴という点から再考し、「興」及び「たのしみ」を基とする「行為」としての俳諧とその意義について明らかにする。 ●研究発表 許六という号の由来 /砂田 歩氏 【要旨】 許六という号については、芭蕉あるいは井伊家(彦根藩士である許六の主家)から与えられたもので、六芸に通じることが由来だという説が伝わっている。しかし、既に指摘されているように、この説には根拠がなかった。本発表では、許六の号が芭蕉に与えられたものではないことと、『六韜』と名付けられた宝蔵院流槍術の免許が由来であることを論じる。武芸を由来とする号を使い続けていることからは、許六が自身の本分を武士としての生活にあると考えていたことがうかがえる。このことを端緒として、傲岸不遜だという許六評について考えなおし、許六俳論との向き合い方について問題提起を試みたい。 |
| |
●研究発表 俳画研究の意義―「俳画の楽しみ Enjoy HAIGA」展によせて― /伊藤 善隆氏 【要旨】 俳画、俳画賛は、文学研究の俎上に載せられることが少ない。また、美術史の研究でも取り上げられることが少ない。たしかに、研究は盛んでないが、様々な作者による作品が、大変多く残っている。そのため、江戸時代の俳諧史の全貌を捉える上で、逸することのできない資料体であると考える。本発表では、あらためて「俳画」の定義の難しさや研究する意義を考えた上で、実際に現在開催中の「俳画の楽しみ Enjoy HAIGA」でご展示頂いている資料をいくつか取り上げて解説を加えたい。 ●研究発表 蕪村点評語『しほからし』再考 /安保 博史氏 【要旨】 「しほからし」という蕪村の句評語は、夙に潁原退蔵編『蕪村全集』(有朋堂書店・大正14年)の頭注に「理窟のつみたるを形容する語」と記されて以来、その解釈が大正・昭和期を通じて踏襲された。しかし、平成期の初め、上野靖氏「蕪村評語考―『しほからし』と『眼前致景』―」(『成城国文学』第6号・平成2年3月)において、「しほからし」が「古風な様子や旧式のことをいう『古格』の謂い」の芸評語であり、蕪村の評語「しほからし」も「古格」の意として解すべきことが提唱され、この新説が平成期の蕪村関係の書籍の論説に反映されることになった。特に、大谷篤蔵・藤田真一校注『蕪村書簡集』(岩波書店・平成4年)の巻末の「解説」(「句会・添削」の項)に、 「塩からし」などという、歌舞伎の芸評に頻用される評語を応用するところは、蕪村独特のもの と思われる (書簡三一など)。これは、蕪村と同様、芝居に親しんだ几董には見られない。こ うした芸評用語の援用は、文化史的な観点からも重要な意味を持つものと考えられる。歌舞伎の 芸評語を、風雅(詩歌連俳)の一体に含まれる俳諧に、そのまま用いるというのは、両者の間に 共通の基盤を認めねばならない事象といえよう。元禄の蕉門では考えられないことである。 と説かれる如く、俳諧の句評に「塩からし」という歌舞伎の芸評語を援用することが、「文化史的な観点」から見れば、「両者の間に共通の基盤を認めねばならない事象」として把握できるとの考え方は、連俳・芸道の文化的共通性の検討を促すものであり、注目されるのである。 今回の発表では、上掲の「しほからし」の先行研究に導かれつつ、寛文年間成立と覚しき茶道類聚編纂書である『茶譜』巻12「茶之振茶筅之事」の一節に、 右、「したるい」「塩の辛し」と云ふことは、諸芸に嫌ふことなり。殊更、茶の湯は、第一忌む ことなり。 とあるとおり、「塩の辛し」が「したるい」とともに、「諸芸に嫌ふこと」であり、特に「茶の湯」では「第一忌むこと」と強調している事実を手かがりとして、「諸芸」たる能楽・歌舞伎・茶道・俳諧などの「しほからし」の用例群に徴し、以て蕪村の評語「しほからし」の再検討を試みてみたい。 |
| |
●テーマ「発句はいつどのように詠まれたのか」(江東区公開講座を兼ねます) 司会:稲葉 有祐氏 連歌発句の変遷 /松本 麻子氏 発句はいつどのように詠まれたのか―延宝期の事例から― /佐藤 勝明氏 |
| |
第32回テーマ研究 「「かるみ」の新展開」 ●シンポジウム 【趣旨】 周知のように、芭蕉は晩年、門人に対して盛んに「かるみ」を説いている。その終焉まで提唱されていった「かるみ」は、それがために蕉風の究極的な到達点とも認識され、研究史上、非常に重要な理念として位置付けられてきた。ただし、芭蕉の「かるみ」とは一体何か、という問いに、決定的な答えは出されていない。例えば、昭和10年代、中村俊定氏が「かるみ」を俳風(表現)の問題と捉えたのに対し、潁原退蔵氏が精神論と解したが、両者の根源的な対立は依然として完全に解消されたとは言えないのが現状であろう。「かるみ」を胚胎した時期も問題となる。また、常に変風を求める芭蕉が、最終的に一つの型に収まろうとしたのか。そして、研究と実作という問題から見ると、どうか。 もとより、自身が「かるみ」を体系的に論じた記事はないため、芭蕉の「かるみ」への理解には困難を伴うが、近年、金子はな氏『惟然・支考の「軽み」―芭蕉俳諧の受容と展開―』(武蔵野書院 、2021年)が刊行された。そこで、本シンポジウムでは、芭蕉の「かるみ」を研究者と俳句作者という二つの視点から照射しつつ、「かるみ」を継承した門人達の言説にも視野を広げ、「かるみ」とは何か、「かるみ」はいかに受容されたのか、について総合的に考えてみたい。討論では登壇者に加え、フロアの方々も交えての充実した議論を期待する。 14:30〜 趣旨説明(司会 佐藤勝明氏) 14:35〜 中森康之氏「金子はな『惟然・支考の「軽み」―芭蕉俳諧の受容と展開―』が提示したこと」 14:55〜 谷地快一氏「軽みと写生」 15:45〜 休憩 15:55〜 討論(金子はな氏・谷地氏・中森氏) 司会 佐藤氏 〜17:00 |
| |
●研究発表 連歌の終焉―明治期の上野東照宮連歌始を手がかりとして /浅井 美峰氏 【要 旨】 本発表では、架蔵の連歌世吉二種と葉書一通から、連歌の一つの「終焉」について考えたい。前者は、明治三十七年と三十九年の正月十一日に上野東照宮で行われた連歌始のもので、原懐紙ではなく写しだが、明治期の連歌の様相を示すものである。この連歌始は、近世の柳営連歌を継承するものとして行われていたと考えられる。後者は、大正期の花園稲荷・五条天神神職の葉書で、連歌の宗匠がいなくなり道が絶えた、という内容を持つ。江戸期の流れを承ける(と主催者が考えていた)連歌がどのようなもので、それがどのように潰えたのかを見ていくこととする。明治期以降の連歌史を考える上でも有意義な資料だと考える。 ●研究発表 『おくのほそ道』編集作業についての試論 /深沢 眞二 氏 【要 旨】 『おくのほそ道』は、旅中や旅の後まもなくに書かれた断片的句文をもとにして編集されたのだろうと推測されている。しかし、現在知られている資料を整理して、執筆時点ですでにあったと思われる句文と『おくのほそ道』を照らし合わせてみると、取捨選択は一様でなく、複雑な編集過程が見てとれる。芭蕉は先行句文から複数箇所を選び『おくのほそ道』の柱とし、それらと関連のある記事を別の箇所に嵌め込もうとして、同じモチーフを反復しつつ変化させている。いわば〈組紐〉を編むようにモチーフを綿密に配置しているらしい。「行春」と「行秋」の対照、松嶋と象潟の対照、「萩」と「西行」の反復、佐藤庄司の旧跡における複数のモチーフの交差について検討し、とくに「月」と「日」の〈組紐〉的構成に注目して論ずる。 |
| |
●研究発表 木藤才蔵先生旧蔵連歌資料コレクションの紹介 /浅井美峰氏・川上一氏・川ア美穏氏・神作研一氏・時田紗緒里氏・深沢眞二氏・綿抜豊昭氏 【要 旨】 木藤才蔵先生(日本女子大学名誉教授、1915年〜2014年)旧蔵の古典籍53点が、ご生前の覚え書きに基づき国文学研究資料館に寄贈された(2016年)。同館はこれを「連歌資料コレクション(木藤才蔵旧蔵)」の名のもとに保存し、すでに全点のデジタル画像を公開している。コレクションは連歌懐紙や連歌論書などの連歌資料を中心として、宗牧や紹巴の書状、暁台宛蕪村書状をも含む。2021年度には特定研究「国文学研究資料館所蔵木藤才蔵コレクションの基礎的研究」(研究代表者:綿抜豊昭)が立ち上げられて、このたび53点の書誌解題がまとめられた。今回は資料の一覧を掲げつつ、特定研究の各メンバーが、それぞれ担当した資料の内から特に注目される1点ないし2点を選んで報告をおこなう。 |